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先週(3月29日)、世田谷区議会第1回定例会が終了しました。
平成28年度の予算案に対する審議が行なわれた議会でした。
うちの会派は、予算委員会の中で自民党&公明党の幹事長
から提案され賛成多数で可決された「修正案」の部分には
賛成ですが、その他の一般会計予算案には反対しました。
反対理由は以下のとおりです。
議場での反対意見は大庭正明議員が述べました。
約2500文字、少し長いですが、世田谷区民の方には是非
読んでいただきたい内容です。
2016年3月29日 会派意見開陳 by 大庭正明議員
●『無所属・世田谷行革110番・プラス』は、修正可決された
部分を除く、平成28年度一般会計予算に反対の立場から意見
を述べます。
●まず、全体を貫く反対の根拠は、随所に見られる、制度設計
の甘さであります。
●それは本庁舎構想の迷走からも、児童養護施設・退所者への
奨学金の将来の財源が、寄付金ということからも伺えます。
●さらに「切れ目のない支援」と称し政策やサービスをどんどん
増やしているように見えますが、本当に増えているのでしょうか。
●地域包括ケアにしろ、世田谷版ネウボラにしろ、保坂区長が
文字にし、発言しているイメージと、実際のサービスとでは、
乖離があることは予算委員会でも明らかになっています。
●看板倒れ、大風呂敷の感は否めません。
●「切れ目のない」という言葉は福祉政策において重要なキーワード
かも知れません。
しかし一方で、限られた予算をどう配分するか、優先順位の決定を、
曖昧にする「魔法の言葉」にもなり得ます。
●すなわち、「メリハリを付ける」という言葉の対局にあると言って
もよいのが「切れ目のない」という言葉であります。
これはまさに「決断したくない」保坂区長にとっては、うってつけ
の言葉であります。
●保坂区長の政治手法は、マスコミ受けするなら、行き当たり
ばったりでも、厭わない、というものです。
そこに制度設計の甘さが付け入るのです。
●行き当たりばったりとは「一貫した計画や予定もなく、その場その場
のなりゆきにまかせること。」という意味です。
●そんな行政運営があるのでしょうか。
●確かに、保坂展人氏個人の、これまでの人生を辿れば、
「行き当たりバッチリ」という人生訓が当てはまるのかも知れません。
●その場の成り行きで、結果オーライ、バッチリじゃないか、
ということの連続だったかも知れません。
●しかし、果たして個人のラッキーな人生モデルを、世田谷区と
いう大組織の、運営モデルに当てはめられるでしょうか。
●この辺りの軌道修正をするのが、本来なら副区長の役割ではない
でしょうか。この機能がほとんど摩滅して、いるように感じます。
●また、本日発売の週刊朝日においても、民進党のことを、
「ヘタレ野党を叱る」という特集に文章を載せています。
もっと区政に集中してください。何がヘタレ野党ですか。
叱っている場合ですか?あなたが叱られているんですよ。
●今回、予算の名称は「参加と協働で社会的包摂を進める予算」
ということで、「社会的包摂」なる言葉が使われています。
●誰もが排除されない社会という「理念」であったものに、予算が
つき始めたのです。
●これは財政的に言い換えれば「大きな政府を進める予算」という
ことにもなりかねない要素を含んでいる、ということです。
●基本構想から基本計画の根底にある「小さな政府」というベクトル
を逆にしなければ、行政サービスとしての社会的包摂には近づかない
のであります。
●にもかかわらず、世田谷区における、例えば世田谷らしい
「社会的包摂」とは何かという議論もなく、「切れ目のない政策」や
「社会的包摂」という言葉に、思考停止し、財源の確保も定まらず
走り出したのが本予算であります。
●ここが、今回の予算の抱えるもうひとつの大きな問題点であります。
すなわち、「社会的包摂」とは社会運動なのか、それとも税金を
投入すべき行政サービスなのか、ということです。
●財源を伴わない、すなわち社会運動としての「社会的包摂」は
例えば、同性カップルに世田谷区が「宣誓書」を発行するという
レベルでの社会へのメッセージというものでした。
●しかし一方、財源を伴う行政サービスとしての「社会的包摂」は、
一気に児童養護施設・退所者へ給付型奨学金を支払うというレベル
に踏み出しました。
●ここでは、本来、「自立支援」であり、「自立」することが目的
であるにもかかわらず、世田谷区では、むしろ「支援」の方が目的
となってしまっています。
この部分においても制度設計が緩いのです。
●しかもその将来の財源についても、曖昧に寄付金頼みと言って
いますが、結局は一般財源投入という、先が見えています。
●さらにその先には退所者だけでは、不公平となり、どんどんと
拡充する余地が十分にあります。
制度設計の甘さは、むしろ将来の切れ目のない予算投入を予想
させるものです。
●他にも保坂区政になって5年、かつては合言葉のようになって
いた「現業職退職不補充」という原則も反故となり、補充はこの
5年間続けられております。
●すなわち、冒頭で申し上げました、全体を貫く反対の根拠と
して挙げた制度設計の甘さとは、意図したかどうかは別として、
「大きな政府」への接近、或いは、将来の多額の財政負担を
伴うものです。
●予算には限度があり、その限度の中で、ベストミックスを
求めるのが、予算審査の意味であり、例え「社会的包摂」で
あっても、メリハリをつけなければならないのが、財政規律
であります。
●さて、一方で「切れ目のない支援」は世田谷区においては、
むしろ都市整備、わけても道路政策にこそ充てられるべき
ではないでしょうか。
●世田谷区は世田谷通りを挟んで南北では道路事情が異なり
ます。
「切れ目のない道路」こそが、来たるべき首都直下地震から
復旧、復興への備えではないでしょうか。
●補助54号線に関する区長答弁は、さっぱりわかりません
でした。
保坂区長は補助54号線を道路にしたいのか、したいので
あれば「切れ目のない補助54号線」こそが急がれるのでは
ないでしょうか。
●結局、保坂区長はこの5年間、何をしたいのか、したく
ないのか、補助54号線に限らず、政策そのものが「情報公開」
されないまま、勝手に決められていく区政運営でした。
●「情報公開と区民参加」はどこへ行ったのでしょう。
●重要なことは区議会の場で議論しない、させない、答えない。
それでも本庁舎問題のように追及されると、非現実的な可能性
の議論にすり替えて逃げようとする。
●「可能性がゼロではない」というレベルで、議論できるのは
例えば、リスクマネジメントの分野だけです。
●しかも保坂区長が使う「可能性がゼロではない」というのは
単なる言い訳や、議論をストップさせる道具として使われて
います。
●庁舎問題においても、肝心の駐車場の土地が、今現在、見つ
かっていないにもかかわらず、「可能性がゼロではない」と、
部下に言わせ続ける保坂区長の神経はどうかしているとしか
思えません。
●あるいは、54号線の問題にしても、54号線反対派に向かって
「可能性がゼロではない」というサインを送るためにわざわざ
しなくてもいいことをしでかしている。
●これらの保坂区長の言動には合理的な説明がつかないのです。
だから議会で議論しない、させない、答えない、挙句は議会が
閉じてから決めるという、議会そっちのけの区政になっている
のです。
●世田谷区を取り巻く、日本の経済状況も依然としてよくなって
いません。
●昨今では消費税アップは見送られるとの報道がなされています
が、当然であり、これ以上国民負担をあげるのではなく、行革の
本道に立ち戻り、小さな政府と財政規律を求めていかなければ、
社会保障費の財源はなくなります。
●また地方自治体レベルでは、国の制度を変える社会運動として
のきっかけ程度までは認めても、到底、単独で税金を投入して
の社会的包摂など、できないことは自明の理であります。
●以上、限られた財源でのメリハリのある社会保障の充実、
そして切れ目のない道路と災害への備え、さらには財政規律に
かなった制度設計の精密さ、これらの点が非常に問題だと指摘し、
反対意見とします。
●尚、本日平成28年3月29日は、違憲の疑いがある安全保障法制
が施行された日でありますが、
「無所属・世田谷行革110版・プラス」は、民主主義の根幹で
ある立憲主義に立ち戻って、今一度、考えなおすべきだとの考え
を改めて表明いたしておきます。
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