昨日は区議会第3回定例会最終日で、
平成25年度の決算認定についての採決が議場で行なわれました。
25年度といえば、「世田谷ナンバー」のデタラメなアンケートで始まりました。
保坂区長のねつ造を許さない立場から、うちの会派「無所属・世田谷行革110番」
は、平成25年度一般会計決算認定に反対しました。
(写真は決算委員会での採決の様子)。
うちの会派の「反対意見」、大庭正明議員が意見開陳を行なったのですが、
他会派の議員から、区民の方々から、「仰るとおり!」「素晴らしかった」
等々、反響がありました。
ちょっと長いですが、以下に、全文を掲載いたします。
保坂区長の本質をついた分析、ぜひ、お読みいただけたらと思います。
(尚、こちらは原稿の原案ですので、実際の議事録とは、ほんの一部、言い
回し等異なる部分があるかもしれませんが、ご了承ください)
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2014年10月17日 「無所属・世田谷行革110番」意見開陳(大庭正明)
無所属・世田谷行革110番を代表して、平成25年度世田谷区一般会計歳入歳出決算に反対の立場から意見を申し上げます。すでに決算委員会で詳細述べましたことは、ここでは繰り返しません。 平成25年度は、「世田谷ナンバー」とともに始まりました。あの、ねつ造と言われても仕方の無い、アンケートの調査票が発送されたのが実に4月1日であります。無作為抽出とは、あまりにもかけ離れた偏りのある結果から、アンケート結果は統計学的に何物も示さない真っ赤な偽物であります。そして意図的に区内在住30年以上という条件を入れなければ、あのような結果にならないことは、すでに私たちの会派が明らかにしました。 いったい誰がどうやったのか、どうしてこのようなデタラメが起こったのか、犯人を追及してほしい、追及しなければいけない、という声が区民の中からあがっています。私たちとしても、今後、何とか一矢報いたいと考えています。 ちなみに、これは統計学とは関係ないかも知れませんが、昨年の参院選において高松市の選管が、候補者の票を312票減らし、白票を329票水増ししたという前代未聞の事件が起きました。今年6月にその選管局長らが逮捕されています。この事件は比例代表で当選した候補者の得票が高松市において0票であったことから、近隣自治体での票の出方と比べて不自然ということが発端となり、解明された事件であります。 代表質問でも触れましたが、保坂区長は昨年6月の第二回定例会の招集挨拶で、「約8割の方から賛成の意向が示されました。」と何の疑いもなく、平気で喋っています。この広い世田谷で、また88万人が暮らす世田谷で、8割の賛成とはどういったことかと、考えたことがあるのでしょうか。そもそも「世田谷ナンバー」そのものが、どれだけ知られていたか、そういう次元でのアンケート調査でもあったのです。 話は飛びますが、千代田区では先般、三崎町と猿楽町の地名のアタマに神田という名称が復活するそうであります。地名というのは歴史であり、また目に見える伝承でもあります。今回の決定は、そこに至る長い議論の積み重ねがあったと聞きます。 「世田谷ナンバー」に反対する区民も、すなわち「品川ナンバー」をこよなく愛する人々にとって、東京に於ける一番最初の陸運局のナンバーという歴史的な経過やクルマ文化が培ってきた雰囲気を大切にしたい、残したいという、そういう思いがあったのです。 そういう思いを保坂区長は、「抹殺」したのです。私たちは「世田谷ナンバー」が選べるというのであれば、大賛成であります。このことは最初から一貫して述べて参りました。様々な価値観を認める。こだわりも認める、このことが成熟した豊かな社会のはずです。 しかし、保坂区長のしたことは、一つの価値観で、この世田谷区を塗りつぶしたのであります。 日頃から、「包摂」だの「排除しない社会」だの声高に主張される会派がありますが、保坂区長の現実の姿は、クルマ文化にこだわりを持つ区民を無視し、抹殺し、簡単に排除してしまう恐ろしさであります。間違ったデータを疑うこともなく!いえ、わざと間違ったデータを使って、かもしれませんが。 今回、決算委員会の補充質疑において、保坂区長の参院選で落選した直後のブログについて紹介させていただきました。そこでは他人の言葉を引用したとは云え、「ムードに流されやすい東京都民の民度の低さが全面に出た選挙だったと言える。何しろ、ここ東京は、あんな独裁者を都知事に3選もさせちゃうような大バカだらけの都市なんだから、」という表現をされています。このことは保坂区長も認めています。 すなわち、この表現から見えてくるのは、自分に票を入れない都民はバカなんだ、自分だけが正しいんだという、民主主義を否定しかねない独善的な考え方であります。 そのことは、保坂区長にブログの内容を注意してくれたA氏が、これも補充で紹介しましたが、このように述べています。 「たとえ引用であったとしても、そこを引用してしまうということは、その部分を読んで、引用するに足ると保坂さんが判断したということ。つまり、保坂さんがきっこ氏に代弁させて、有権者を馬鹿にしているということになってしまいます。さらに、保坂さんに投票した人で「馬鹿にされてる」と感じた人も出てきます(というか、確認しています)。対立軸を作り、煽って、反対者をその向こう側に追いやり、それを馬鹿にする行為は、少なくとも表立ってやっていいことではとではありません。まして政治家がそれをやるのは自殺行為です。」 と、要するに、この時点、2010年の7月の時点で政治家としての保坂展人氏は死んじゃっているのです。 補充質疑の際には、忙しいさなかで、引用部分を間違えたなどと言い訳をしていましたが、そういうことなら、ジャーナリストとしても失格と言わざるを得ないでしょう。どこの世界に他人の文章を引用することに、間違えたなどという言い訳が通用するいい加減なジャーナリストがいるでしょうか。恥を知れといいたいです。 まあ、最大会派も保坂区長に対しては、もはや「質問のしがいがない」とさえ言われている状態です。 これはどういうことかと言えば、保坂区長にはどうも「節操」がない、ということを巡っての3年半だったということに尽きるのではないかと思います。 「節操」とは辞書によれば「自分の信じる主義・主張などを守りとおすこと」とあります。 区長というのは何度も申し上げますが、執行機関であり、そのものズバリ権力者であります。その権力者に「節操」がないとなれば、それを利用しようとする者が無数に現れるのは当然のことであります。また保坂区長の方でも、逆に無数の方々に利用されることによって、なにがしかの、メリットをまさに無数に享受しようとしているのでしょう。 私たちは政治の世界における「ギブアンドテイク」を別段否定するものではありません。むしろ政治そのものという見方もありましょう。ただし「節操」があれば、の話であります。 ひとたび、民度の低い有権者という認識を示した保坂展人氏からすれば、その10ヶ月後の世田谷区長選においても、その見方は続いていたと、今からすれば思わざるを得ません。 このことは保坂区長の選挙においても、「節操」のない公約を掲げ、当選後に選挙を支援し、大型開発優先の区政を転換することを信じていた支持者を、多少の時間を掛けたとはいえ、いとも簡単に裏切ったことに端的に現れています。 これは保坂区長の考える「民度の低い区民」への仕打ちであり、選挙公約が区長になるための道具に過ぎなかったという証しであります。 区長就任後も、「民度の低い区民」への対応は、議会においても続きます。即ち、区長の執行機関としての権限に「ギブアンドテイク」として利用し、利用される関係の構築であります。その傍らで、批判的な立場で存在したのが、役所の管理職という、執行機関とその補助機関との距離感の表れです。 もちろん、会派といえども政治的集団でありますから、保坂区長の「ギブアンドテイク」において「節操」なるものがあろうとなかろうと、ギブできれば、御の字だということで、ご活躍の会派もあるでしょう。最後の最後まで絞り出そうと。それも一つの政治的な行動であることは否定しません。 しかしながら、保坂区政になって、全く主義主張の異なる、政策的には相容れない会派が、同じように決算および予算に反対するということは、どういうことでしょうか。即ちそこに保坂区政の限界があり、区政を区民のためではなく、保坂区長を区長として存続させるための道具としか考えていないという、心のうちが透けて見えているからではないでしょうか。 「節操」がないということは、別のいい方をすれば支持してくれれば「安請け合い」をするということです。しかしながら執行機関は「安請け合い」をすればするほど、政策の優先順位は定まらなくなります。定まらないどころか、あっちにも、こっちにも「顔」を立て、区政そのものが「渋滞」し、停滞してしまいます。政策あっても前進なし、これが平成25年度決算の姿だったのです。 以上、保坂区長の「安請け合い」に絶対乗らない、無所属・世田谷行革110番の意見とします。
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